沖縄の源流
正剛館の歴史は、その誕生以前の沖縄から始まります。宮城長順先生(1888–1953)は、東恩納寛量先生に学んだ那覇手と中国南部での研究をもとに技を体系化し、これを剛柔流と名づけました。4, 5 その名は、中国武術の古典『武備志』にある、呼吸の緩急と剛柔を結びつけた一節に由来するといわれます。5 流派については剛柔流のページをご覧ください。
京都の宮城先生、立命館の多田青年
宮城先生は本土でも指導を行い、剛柔流が根づいた場所のひとつが京都の立命館大学でした。1939年、若き多田正剛先生はここで空手部に入部し、宮城先生の直接の指導を受け、のちに同部の監督も務めました。1 詳しくは館祖 多田正剛のページをご覧ください。
1945年、正剛館の誕生
戦争で荒廃した1945年、多田先生は京都に正剛館道場を開きました。総本部は、その目的を、人格完成をめざす道としての空手を通じて青少年を育成し、誇りを取り戻させることにあったと伝えています。2 同じ根から、多田先生が創設・主宰した日本剛柔流空手道士会、現在も正式名称である日本正剛館空手道士会、そして日本正剛会が生まれました。1, 2
正剛館と日本空手界の組織化
その後の数十年、正剛館は日本の空手界とともに成長し、多田先生はその中心にいました。1952年には独自に開発した防具による初の大会を開催し、1964年には流派の統合と全日本空手道連盟および各地方連盟の設立に参画しました。1969年の全日本選手権、1970年(大阪)と1972年(パリ)の世界選手権など、黎明期の大会の審判と運営にも携わっています。1
総本部・姫路
やがて正剛館の拠点は兵庫県姫路市に置かれ、ここに総本部道場があります。2 総本部のもとに、全国の道場・支部、正剛館系の大学空手部、正剛会、審判部会・指導部会、そして海外本部が組織されています。2
世界の正剛館
海外への展開は1967年、多田先生が香港とマカオに道場を設立したことに始まります。以後、先生は毎年のように英国、米国、オーストラリア、イタリア、ポルトガル、そしてブラジルなどを訪れ、指導と指導者の育成にあたりました。1 こうして正剛館は複数の大陸に広がり、多田先生が制定した基本突きの型・基本受けの型を含む共通の型の体系を受け継いでいます。6
館祖亡きあと
多田正剛先生は1997年、姫路で亡くなりました。1 正剛館は多田家によって受け継がれ、現在は三代目 多田正剛先生が宗家・会長として率いています。3 館祖が道場訓に記した誠実・謙虚・不屈の精神は、今も変わりません。2
正剛館ブラジル
ブラジルでは、レオナルド・カリオン師範(代表)と成田丈悦先生(副代表)のもと、正剛館の剛柔流を指導する道場と指導者が正剛館ブラジルに集まっています。多田先生からブラジルの指導者へとつながる系譜と、加盟道場の一覧もご覧ください。