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SEIGOKANBRASIL · 正剛館

館祖 · 1922–1997

館祖 多田正剛

宮城長順先生に学んだ多田正剛先生は、1945年に京都で正剛館を創設し、五十年以上にわたり剛柔流を人格形成の道として指導しました。

京都、1922年

多田正剛先生は1922年(大正11年)2月18日、京都に生まれました。1, 4 師との出会い、道場の創設、最初の門下生の育成は、いずれもこの京都で行われました。流派名には先生自身の名が刻まれています。正剛館とは、文字どおり正剛の「館」です。「剛」の字は、先生が生涯をかけて稽古した剛柔流の「剛」でもあります。

上海と中国拳法

正剛館総本部が公開している館祖の経歴によれば、先生は1937年、十五歳のときに上海で陳老師から中国拳法を学びました。1 中国南部に源流をもつ沖縄の剛柔流が先生にとって自然なものだった理由の一端が、ここにうかがえます。

立命館大学と宮城長順先生

1939年、先生は京都の立命館大学空手部に入部し、剛柔流の開祖である宮城長順先生の直接の指導を受けました。1 のちには同部の監督も務めています。1 この師弟関係こそが、正剛館が今日まで守り続けている系譜の源であり、多田先生が伝えた宮城先生の剛柔流です。

1945年、京都での創設

終戦直後の1945年(昭和20年)、先生は京都に正剛館道場を開き、現在の日本正剛館空手道士会(英語名 Seigokan Karate-Do Association)を創設しました。1, 2 総本部は、その出発点の目的を、空手を単なる体力づくりではなく人格完成をめざす道として、青少年を育成することにあったと説明しています。2 正剛館が掲げる誠実・謙虚・不屈の精神は、今も変わりません。2, 6

日本の空手界を築いた一人

先生の活動は自らの道場にとどまりませんでした。1952年には独自の防具を開発し、防具を用いた初の大会を開催しています。1 1964年には流派の統合と全日本空手道連盟、関西・近畿および各府県連盟の設立に参画し、要職を歴任しました。兵庫県空手道連盟では理事長を務めています。1

その後も主要な大会の審判と運営を担い、1969年の第1回全日本選手権では審判長を務め、1970年に大阪で開かれた第1回WUKO世界選手権、1972年のパリでの第2回大会の運営にも携わりました。1 1981年には滋賀国体の空手道競技委員長を務め、同年、兵庫県体育功労賞を受賞しています。1

姫路から世界へ

正剛館の総本部道場は兵庫県姫路市にあります。2 ここを拠点に、正剛館は国内各地の道場・支部と大学空手部へと広がりました。1967年には香港とマカオに道場を設立し、以後は毎年のように英国、米国、オーストラリア、イタリア、ポルトガル、そしてブラジルなどを訪れ、指導と指導者の育成にあたりました。1

遺されたもの

多田正剛先生は1997年9月18日に亡くなりました。1, 4 先生が遺したのは、技法と心得です。技法は、剛柔流の伝統の型に、先生が制定した基本突きの型と基本受けの型を加えた正剛館の稽古体系に受け継がれています。5 心得は、空手道がなによりも精神の道であることを説いた、先生自筆の正剛館道場訓に残されています。6

正剛館は今も多田家によって受け継がれています。総本部によれば、現在は三代目 多田正剛先生が宗家・会長として正剛館を率いています。3 正剛館ブラジルは、館祖が遺した道をこの国で守り続けるために活動しています。正剛館の歴史と、多田先生からブラジルの指導者へとつながる系譜もご覧ください。

多田正剛先生とはどのような人物ですか?

多田正剛先生(1922–1997)は宮城長順先生に師事した空手家で、1945年に京都で正剛館を創設しました。日本の空手界の組織づくりにも大きく貢献し、正剛館を海外にも広めました。

多田先生は宮城長順先生の弟子だったのですか?

はい。正剛館総本部が公開している経歴によれば、多田先生は1939年に立命館大学空手部に入部し、剛柔流開祖の宮城長順先生から直接指導を受けました。

「正剛館」という名前の意味は?

正剛館は、館祖の名「正剛」に「館」の字を合わせたものです。「剛」は剛柔流の「剛」と同じ字です。

現在、正剛館を率いているのは誰ですか?

現在は三代目 多田正剛先生が宗家・会長として、兵庫県姫路市の総本部から正剛館を率いています。

あなたの道場は多田正剛の系譜を継いでいますか?

正剛館ブラジルは、正剛館とともに歩み続ける道場と指導者を結集しています。理事会にご連絡のうえ、組織の一員になってください。